こんにちは!長野市にあります、わかまつ呼吸器内科クリニック検査技師の高橋です。
この頃は暑かったり寒かったりと気温の差がありますね。
体調を崩さないように気を付けましょう。
さて先日、東京のZeppブルーシアター六本木で行われた舞台「それいゆ」を観に行ってきました。
テーマは「美しく生きる」
昭和初期、少女雑誌『少女の友』の人気画家として一世を風靡した中原淳一についてのお話です。
中原淳一が描く少女はとってもかわいくて、服装もおしゃれ。
女性のくらしを新しく美しくするという信念のもとつくられた中原淳一独自の雑誌『それいゆ』は、今年創刊70周年を迎えました。
あらすじ
1940年、中原淳一は挿絵画家、人形作家としての確固たる地位と人気を得ていました。
太平洋戦争の混乱期、淳一が挿絵を描く雑誌『少女の友』は多くの少女たちを勇気づけていました。
ある日『少女の友』の編集長は淳一に「モンペ姿の少女画を描いてほしい」と頼みます。
理由は「中原淳一が描くスカートやワンピース姿の少女画は敵性文化。今のご時世に合わない」という軍部からの圧力のためです。
淳一は「モンペ姿の少女を描くくらいならば辞める」と言って『少女の友』の専属作家を降りてしまいます。
これが、創作の場を自分で探し創りだす、淳一の挑戦の始まりでした。
「美しく生きる」という信念を持ち活動を続ける彼の生涯をかけた夢と、その果てにたどり着いた結末とは…?
中原淳一の信念を貫き通し妥協しない生き方は、きっと誰よりも美しかったと思います。
戦争中だけ我慢してモンペ姿の少女を描いていれば『少女の友』から離れずに済むのに、自分のこだわりのためにそれを選ばなかったのです。
生きていると、妥協してしまうときや妥協しなければならないときがあると思います。
周りに合わせなくてはならなくて、自分の思いを飲み込んでしまう時だってあるかもしれません。
それに、大変な思いをするよりも手を抜いていたほうが楽ですから、出来るならば楽をして生きていきたいとも思ってしまいます。
自分にとって「美しく生きる」とはどういうことなのか、考えさせられました。
自分を見つめ直すきっかけになるすてきな舞台でした。
最後に、劇中で使用されていた詩が印象的だったので掲載させていただきます。
もしこの世の中に、風にゆれる『花』がなかったら、
人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。
もしこの世の中に『色』がなかったら、
人々の人生観まで変わっていたかもしれない。
もしこの世の中に『信じる』ことがなかったら、
一日として安心してはいられない。
もしこの世の中に『思いやり』がなかったら、
淋しくて、とても生きてはいられない。
もしこの世の中に『小鳥』が歌わなかったら、
人は微笑むことを知らなかったかもしれない。
もしこの世の中に『音楽』がなかったら、
このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。
もしこの世の中に『詩』がなかったら、
人は美しい言葉も知らないまま死んでゆく。
もしこの世の中に『愛する心』がなかったら、
人間はだれもが孤独です。
中原淳一